ジョーン・フォンテイン記念館 Joan Fontaine Memorial Museum

東京生まれのハリウッド女優ジョーン・フォンテインの自称世界一のファンである叙穏が,ジョーンの映画や人生について語ります。年中無休,24時間開館中

映画「レベッカ」(1940)主役を掴むまでの道のり

キャサリン・ヘップバーン主演「偽装の女」(1937)に端役で出演したジョーン・フォンテインは,ケイティの口利きでRKOの数々のB級映画に出演。しかし芽は出ず,MGMの「女達」(1939)の小さな役が高評価を得た位でした。ある日ジョーンは「女達」で共演した,ポーレット・ゴダードのパーティに招待されます。

パーティで隣にいた人物こそ,プロデューサーのデイヴィッド・O・セルズニックでした。彼から映画「レベッカ」オーディション開催の情報を聞いたジョーンは,他の多くの女優と同じくそのオーディションを受けます。しかし余りにも競争率の高いヒロイン争いに,彼女は半ば諦めていました。

最終選考の中にジョーンは残りましたが,「彼女は内気過ぎる,まるででくのぼう」という周りの意見に,セルズニックは最後まで迷った様です。しかしヒロイン「私」こそ,正にその様なイメージの女性ではなかったでしょうか?「女達」の監督ジョージ・キューカーの推薦もあり,ヒロインはジョーンに決まりました。

レベッカ」主役決定の知らせを受けた時,彼女は俳優ブライアン・アハーンと新婚旅行中でした。彼は小遣い稼ぎにやってみればいいと出演を許したそうです。まさかこれが「スター誕生」を地で行くことになるとは,この時アハーンには想像もできなかったでしょう。

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映画「レベッカ」よりマキシムと「私」
の新婚旅行シーン。

 

マキシム役のローレンス・オリヴィエは,ヒロイン「私」に,恋人のヴィヴィアン・リーを望みました。しかしスカーレット・オハラが抜けきれない彼女の演技は論外とされ,それに憤慨したオリヴィエがジョーンを役から降ろしたがっていると,監督ヒッチコックはジョーン本人に伝えます。

撮影現場でも刺々しく,きつくあたるオリヴィエ。残念ながら彼とジョーンは親しくなれなかった様です。その雰囲気が,イライラを露わにするマキシムと,おどおどする「私」から窺い知れます。ある意味真に迫った演技が功を奏し,映画はアカデミー作品賞受賞,ジョーンは主演女優賞にノミネート,一躍トップスターとなります。

監督アルフレッド・ヒッチコックは,ジョーン・フォンテインと他の共演者の間に距離を置かせ,疎外感を感じさせることで,彼女から名演技を引き出したと言われています。目立たない女優だったジョーンを,スターダムへと押し上げたヒッチは,当時噂された通り,まさにスヴェンガリです。