ジョーン・フォンテイン記念館 Joan Fontaine Memorial Museum

東京生まれのハリウッド女優ジョーン・フォンテインの自称世界一のファンである叙穏が,ジョーンの映画や人生について語ります。年中無休,24時間開館中

ジョーンとメラニー

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春美栄光堂のジョーン・フォンテインのプロマイド


ジョーン・フォンテインが「風と共に去りぬ」のヒロイン,スカーレット・オハラ候補だったのは有名ですが,彼女はそれについてあまり語っていません。プロデューサー,デイヴィッド・O・セルズニックからメラニー役のカメラ・テストを受けるよう言われ,彼女は監督ジョージ・キューカーのオフィスに向かいます。

ジョーンはカメラ・テストの前に,あるジュニア・リーグの昼食会に盛装して出席,その足でキューカーのオフィスに向かいました。シックな装いの彼女を一目見た途端キューカーは,「メラニーは君の様な洒落た女ではなく,質素な南部の女性なんだ」と言い,ジョーンを一蹴,テストは受けられませんでした。

ジョーンはキューカーのオフィスでの出来事を,後に重大な過ちだったと言いました。メラニーのイメージに合った服装で出直せば,もしかしたら役を手に入れられたかもしれませんが,線の細いジョーンが,芯の強い南部女性に適役だったかは疑問です。

 

メラニー役から外れたジョーン・フォンテイン。彼女はキューカーに姉オリヴィア・デ・ハヴィランドを勧めます。結果的にメラニーは姉が演じることになりますが,ジョーンが語ったこのエピソードは,妹の提言で大役が姉に決まったのだと,多くの人に誤解を与えてしまいました。

ジョーンの自叙伝には,上記の事がさらっと書かれています。特にキューカーに姉を勧めた事に関して,実際苦労して役を手に入れたオリヴィアは激怒したそうです。ジョーンは多くを語らない事で有名な人で,ただキューカーに姉を紹介したという事実を,彼女らしく飾らずに述べています。

ジョーン・フォンテインは,一説によるとスカーレット役を熱望したがダメで,メラニー役すら姉に奪われ自殺を考えた,と言われています。しかしご本人は自身の本の中で,そんな事は言ってません。飄々とした彼女同様,事実は淡々としているのかもしれません。